ようやく長く暑い夏が終わり台風一過、秋空の季節となったようです。
それにしても今年の夏は原発事故で電力供給が危ぶまれる中、冷房も我慢する節電をしながらの暑く長い夏でした。
写真の花は、藍染めの染料として名高い藍の花です。藍染めの青い色は、「JAPAN BLUE」として世界に知られるほど深く鮮やかな日本の色です。まさに「青は藍より出でて藍より青し」ということわざのとおりの色だと思います。英語ではインディゴ(indigo)でジーンズを染める染料としてもよく知られていますが、通常現在のジーンズでは合成インディゴが使用されています。
ジェフリー・ディーヴァーの「ロードサイド・クロス」を読みました。
キャサリン・ダンスシリーズの第2弾です。おなじみのリンカーン・ライムシリーズといい、相変わらずジェットコースターに乗せられたような、どんでん返しの連続で楽しめましたが、テーマがネット社会の匿名での誹謗中傷や匿名と安心し個人情報の洩らすことの恐ろしさがITの仕事をしている身としては、自身気をつけながらも、一般の人にどこまで理解されているのだろうか気になるところです。
しあわせの達人
ショウジョウバカマ

ようやく春めいて来ましたが、今年は春の訪れが遅いですね。近所の真間川の桜もまだようやく蕾が膨らんでピンク色になってきた所です。開花まではあと3,4日掛かりそうです。
とはいうものの、思い出してみれば、温暖化が言われるようになる前、少なくとも30,40年前は、今年くらいの春の訪れで普通だったように思います。
そんな訳で、春を感じようと近くにある万葉植物園に行ってきました。ここは万葉集に詠まれている植物を集め和歌とともに展示している和風庭園となっています。
写真は「ショウジョウバカマ」です。山野のやや湿った場所に生えます。花言葉は「希望」だそうです。

ファラオ・サンダースの「Welcome To Love」を聴きました。ファラオ・サンダースといえば、晩年のジョン・コルトレーンのグループに参加してバリバリ吹きまくっていたイメージがあったのですが、ここでは師と仰ぐコルトレーンの「バラッド」を思わせる歌心一杯の演奏です。
ゴッド・ファーザー パートⅡ

いろいろあってなかなかブログの更新ができません。ようやく今年の第2弾です。
午前十時の映画祭で映画「ゴッド・ファーザー パートⅡ」を観てきました。
昨年「ゴッド・ファーザー パートⅠ」を観ていますが、パートⅠのマーロン・ブランド(ヴィト)とアル・パチーノ(マイケル)に圧倒され増したが、パートⅡもパートⅠに負けず劣らず、ファミリーのドンとなったアル・パチーノ(マイケル)とパートⅠでマーロン・ブランドが演じた若き日のヴィトを演じたロバート・デ・ニーロにまたも圧倒されました。

前作では描けなかった父ヴィト・コルレオーネの青年時代と、息子マイケル・コルレオーネのその後という二つの異なった時代の物語を平行させながら描き、二つの時代の主人公を対比的に描くことで、現代の主人公であるマイケルの苦悩とその悲劇性を高めているようだ。

佐々木譲の「警官の地」を読みました。上下2巻各々400ページ近い長編ですが、警察官という生き方を通して、警察官の使命とは何か、正義の追及とはなにか、を問いつつ、戦後から現代までその時代とともに生きた警察官の親と子と孫の三代の渡る人間とそのそれぞれの生きた時代を描いていて、あっという間に読み終えてしまいました。
大にんにく
ゴーヤの花
グリーンカーテンとして植えたゴーヤに花が付きました。キュウリやかぼちゃの花とよく似た黄色の花ですが、それよりは小さめで、次から次と咲いています。
果たしてうまく実に成るのかどうかは今のところまだわかりません。少しでも収穫できたら、ゴーヤチャンプルーやゴーヤジュースで楽しみたいと思っています。
サラ・パレッキーの「沈黙の時代に書くということ」を読みました。「V・I・ウォーショースキー」シリーズで知られる女流ミステリー作家のエッセイです。
自身のバックボーンとなった生い立ちや家族について、そして9・11以降の愛国者法が制定され、自由な発言が出来なくなり、人々が沈黙を強いられる社会へ違和感とアメリカ社会がそのように変貌していくのではないかとの懸念語り、その中で作家として何をなすべきかと模索している姿を描いています。
ゴーヤのグリーンカーテン
随分久しぶりの更新です。3月11日の東日本大震災以降どうもブログを更新する気が起きなくて、長い空白になってしまいました。ようやく気を取り直しての約5ヶ月の更新です。
今年の夏の節電対策のために、我が家でもゴーヤのグリーンカーテンを育て始めました。
まだ、背丈1メートルにも満たないのですが、日に日に伸びていっています。ゴーヤの実が出来たら、ゴーヤジュースでもつくって美味しくいただけたらと思っています。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの「半分のぼった黄色い太陽」を読みました。アディーチェはナイジェリア出身の若手女流作家です。「半分のぼった黄色い太陽」は1960年代末にナイジェリアで起きた内戦/ビアフラ戦争を時代背景に、そこで生きた人たちの姿を、重層的に多視点から描いていて、それでいてみずみずしく、生き生きとした物語となっています。
ちなみに「半分のぼった黄色い太陽」とは、分離独立運動当時のビアフラ共和国の国旗のデザインです。
第2回午前十時の映画祭

昨年一年間、第1回午前十時の映画祭で年間50本のかっての名画を観ましたが、今年もまた引き続き第2回午前十時の映画祭で上映されることが決まりました。先週がその第1本目の「バンドワゴン」が上映されたので、早速見てきました。

売れなくなった元ハリウッドのスターが舞台での再起をかけて挑戦する姿を描いたフレッド・アスティア主演のミュージカル映画です。ミュージカル映画にはこのような劇中劇というのが結構ありますね。「雨に歌えば」もそうでした。ファウストを土台にしたミュージカルでブロードウェイで初演したものの、予想通りの大失敗しますが、出演者みんなで新しいショーを仕立てて地方回りをしていきます。有名なラスト・ナンバー“That’s Entertainment”の合唱で幕を閉じます。
お正月

なんか色々あって、ブログの更新をずいぶんとご無沙汰してしまいました。昨年夏の猛暑で夏バテしてなんとなくサボっているうちに他の事で忙しくなったりとかで、とうとう昨年後半は全くブログの更新をしないで終わってしまいました。
暮れにノロウィルスにやられてダウン。ようやく元に戻り心機一転再びブログの更新をボチボチとやっていこうと思います。
昨年師走の慌ただしい頃に、なんとなく本屋さんで見かけて面白そうだと思って購入した本が加藤陽子東京大学文学部教授の『それでも日本人は「戦争」を選んだ」』です。
私たちの世代は、というか現在でもそうなのでしょうが、学校教育特に高校の日本史、世界史では現代史に関してはほとんど学ばずに済ませてしまっています。授業では古代史から始まって明治維新頃迄来ると時間切れ、その後の現代史についてはほとんど大した知識もなく、普段あまり考えることもなく済ませている人のほうが多いのでないでしょうか。
私もそれほど威張れたものではなく、多少興味のあった司馬遼太郎の作品や米内光政、井上茂美を取り上げた小説とか読んだりしていた程度でした。ですから日清、日露から日中戦争へ、そして太平洋戦争へと突入していった過去の日本について、なぜだれも止めようとしなかったのだろう、あるいは現在でも最近の中国や北朝鮮との関係の中で同じような方向に向かう危険はないのだろうかと考えることがありました。
この本では当時の社会情勢と国際関係の中でどのように日本が外交・軍事・国内政治を行って来たのかを検証しています。多面的で公平な資料を元に展開される議論は目からウロコといった感があります。
仙人草

いろいろ調べて、たぶん仙人草ではないかと思います。
きんぽうげ科のクレマチスの仲間です。つる性の多年草で4弁の白いかわいい花を咲かせます。実の先端に付く白い羽毛状のひげを仙人のひげに見立てたものです。
写真の花は鉢植えであまりつる性には見えませんのでもしかしたら仙人草とは異なるのかもしれません。もし違っていたらごめんなさい。

映画は「ベン・ハー」です。チャールトン・ヘストン主演の大スペクタクル映画として有名です。ガレー船での海戦の戦闘シーンや戦車競走シーンのシーンはまさに大迫力です。上映時間も3時間半以上あり、途中休憩が入りました。
ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ジュダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描いていて、ベン・ハーの物語であると同時にイエス・キリストの物語となっています。

