グリーンカーテンとして植えたゴーヤに花が付きました。キュウリやかぼちゃの花とよく似た黄色の花ですが、それよりは小さめで、次から次と咲いています。
果たしてうまく実に成るのかどうかは今のところまだわかりません。少しでも収穫できたら、ゴーヤチャンプルーやゴーヤジュースで楽しみたいと思っています。
サラ・パレッキーの「沈黙の時代に書くということ」を読みました。「V・I・ウォーショースキー」シリーズで知られる女流ミステリー作家のエッセイです。
自身のバックボーンとなった生い立ちや家族について、そして9・11以降の愛国者法が制定され、自由な発言が出来なくなり、人々が沈黙を強いられる社会へ違和感とアメリカ社会がそのように変貌していくのではないかとの懸念語り、その中で作家として何をなすべきかと模索している姿を描いています。
年別アーカイブ: 2011年
ゴーヤのグリーンカーテン
随分久しぶりの更新です。3月11日の東日本大震災以降どうもブログを更新する気が起きなくて、長い空白になってしまいました。ようやく気を取り直しての約5ヶ月の更新です。
今年の夏の節電対策のために、我が家でもゴーヤのグリーンカーテンを育て始めました。
まだ、背丈1メートルにも満たないのですが、日に日に伸びていっています。ゴーヤの実が出来たら、ゴーヤジュースでもつくって美味しくいただけたらと思っています。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの「半分のぼった黄色い太陽」を読みました。アディーチェはナイジェリア出身の若手女流作家です。「半分のぼった黄色い太陽」は1960年代末にナイジェリアで起きた内戦/ビアフラ戦争を時代背景に、そこで生きた人たちの姿を、重層的に多視点から描いていて、それでいてみずみずしく、生き生きとした物語となっています。
ちなみに「半分のぼった黄色い太陽」とは、分離独立運動当時のビアフラ共和国の国旗のデザインです。
第2回午前十時の映画祭

昨年一年間、第1回午前十時の映画祭で年間50本のかっての名画を観ましたが、今年もまた引き続き第2回午前十時の映画祭で上映されることが決まりました。先週がその第1本目の「バンドワゴン」が上映されたので、早速見てきました。

売れなくなった元ハリウッドのスターが舞台での再起をかけて挑戦する姿を描いたフレッド・アスティア主演のミュージカル映画です。ミュージカル映画にはこのような劇中劇というのが結構ありますね。「雨に歌えば」もそうでした。ファウストを土台にしたミュージカルでブロードウェイで初演したものの、予想通りの大失敗しますが、出演者みんなで新しいショーを仕立てて地方回りをしていきます。有名なラスト・ナンバー“That’s Entertainment”の合唱で幕を閉じます。
お正月

なんか色々あって、ブログの更新をずいぶんとご無沙汰してしまいました。昨年夏の猛暑で夏バテしてなんとなくサボっているうちに他の事で忙しくなったりとかで、とうとう昨年後半は全くブログの更新をしないで終わってしまいました。
暮れにノロウィルスにやられてダウン。ようやく元に戻り心機一転再びブログの更新をボチボチとやっていこうと思います。
昨年師走の慌ただしい頃に、なんとなく本屋さんで見かけて面白そうだと思って購入した本が加藤陽子東京大学文学部教授の『それでも日本人は「戦争」を選んだ」』です。
私たちの世代は、というか現在でもそうなのでしょうが、学校教育特に高校の日本史、世界史では現代史に関してはほとんど学ばずに済ませてしまっています。授業では古代史から始まって明治維新頃迄来ると時間切れ、その後の現代史についてはほとんど大した知識もなく、普段あまり考えることもなく済ませている人のほうが多いのでないでしょうか。
私もそれほど威張れたものではなく、多少興味のあった司馬遼太郎の作品や米内光政、井上茂美を取り上げた小説とか読んだりしていた程度でした。ですから日清、日露から日中戦争へ、そして太平洋戦争へと突入していった過去の日本について、なぜだれも止めようとしなかったのだろう、あるいは現在でも最近の中国や北朝鮮との関係の中で同じような方向に向かう危険はないのだろうかと考えることがありました。
この本では当時の社会情勢と国際関係の中でどのように日本が外交・軍事・国内政治を行って来たのかを検証しています。多面的で公平な資料を元に展開される議論は目からウロコといった感があります。